一番星みつけた(歯科学生の日常)

北海道生まれ、北海道育ち
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2014.07.14 Monday

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2014.05.09 Friday

悲しき商店街シリーズ(北九州市戸畑区三六商店街)

私は、ピチピチギャルから

話しかけられることはないが

道行くじーさん、ばーさんからは

結構、頻繁に話しかけられる




どうやら、私は高齢者ウケが良いようだ



どうせなら、ピチピチギャルにモテたかった…



…ぴち…ぴち…



まぁ、それはさておき

先日、若松まで散策に行った際に

バス停で、知らないばーさんに

話しかけられた



そのばーさんは

バスに乗るや否や

突然、自分の半生を語り始めた



ばーさんは

もともとは長崎に居たのだが

お父さんの仕事の都合で

若松に移り住んだのだという




そんでもって

北九州の空気があまりにも汚くて

喘息になってしまったのだという



「最近は大丈夫になったけれど

昔はここいら(若松)も

三六のあたりも

み〜んな、喘息やったんよ」



「○○病院の××先生がおらなんだら

全員死んどった!

あ〜、死んどった!!」


(在りし日の北九州)



私はコンビニで購入した

「みこすり半劇場」を片手に

「そうだったんですねぇ」と

神妙な面持ちで話を聞いていた



ふと気が付くと

ばーさんは居なくなっていた

どうやら、さっきのバス停で降りたらしい



ふむ、「三六」というと

これまた別の日に

戸畑を散策したときに

その名の町を通りかかったのを思い出した




確かに、新日鐵住金の目と鼻の先

…公害で皆死にかけていた

という老婆の述懐は

一気に真実味を帯びた

…別に疑っていたわけではないが(笑)



北九州はかつて

公害と引き換えに

繁栄を手に入れていた



三六の町もそうだったのだろう




忘れられたように

三六商店街は

ひっそりと佇んでいた




企業のふりまく公害に苦しみながらも

その一方で、企業の恩恵を受けて

華やいだ時期もあったのだろうか?




「三六商店街」の向こうにある

「天神 TENJIN」という

表札が、一層寂しさを

引き立てているような気がする




一部は駐車場になってしまっているようだ

都市高速入口側は、ゲートだけが

寂しく立ちすくんでいた

まるで、客の出入りを待ちわびているようだった




ばーさんは「さんろく」と言っていたが

どうやら「みろく」と読むらしい



北九州には、このように

いたるところに

悲しき商店街が眠っている


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■関連記事(悲しき商店街シリーズ)■

 

2014.07.14 Monday

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23:43 | - | - | - | - | - |

コメント

俺、2歳まで三六に住んでたよ(´∀`)全然記憶ないけどねえ

ちなみに最後の写真の向こう側の道路は、今は普通に車通ってるけど15年ぐらい前まではバス専用道路だった。さらにその前は西鉄の路面電車が走ってた道なんよね。元々、路面電車の軌道→路面電車が廃止→バス専用道路→西鉄が土地を売却→普通の道路
電停の跡地とか残ってたけどもう無くなったやか

バス専用道路時代はすごい道狭くて車で通りにくかったんだよね
2014/05/10 8:14 AM by みっちー
>みっちー
そうだったんだ!

電停の跡地らしいものは見当たらなかったなぁ…。

北九州って、電停が走っていたんだなぁ、て感じの交差点ケッコーある気がする。

電停の跡って、もう全然残ってないんだろうか?
2014/05/10 9:38 AM by サディ

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