一番星みつけた(歯科学生の日常)

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2014.07.14 Monday

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2014.04.13 Sunday

「海道東征」を演奏するまで(第一回)

■はじめに

平成25年12月22日

多くのOBの先生方や学友に見守られながら

歯科大の第48回定期演奏会において

歴史的大曲「海道東征」が演奏された



私は「海道東征」を

演奏するというプロジェクトの渦中にあって

これまで、このブログの方に

断片的に記録を

思いついたように綴ってきた



しかし、演奏から数カ月が過ぎ

比較的自分のことを客観的に

見ることができるようになってきた今



改めて、私がこの大曲に出会うまで

そして、私たちのような弱小合唱団が

これほどまでの大曲を

演奏するに至るまでを

順を追って書き記し

記録として整理して残しておこうと思った



ということで、今日から

歯科学生の日々」と並行して

「『海道東征』を演奏するまで」を

更新していくので、どうぞ、こちらもよろしく



それでは、はじまり、はじまり…





■第一回

私が「海道東征」に出会うまで




私が高校二年生のとき

学校の金庫の奥から

校歌の作曲者による手書き譜が発見された



その、校歌の作曲者こそ

「海道東征」を作りだした

「信時潔」だったのである

これが、私と信時氏の

ファースト・コンタクトであった



当時、私は合唱部と放送部を

掛持ちしていたので

合唱部として

合唱部の顧問の先生に

話を聞きつつ

放送部として、その

手書きの譜面についての取材を進めた



そこで様々なことがわかった



信時氏が非常に高名な作曲家の方で

日本の近代音楽の

源流とも言える方の一人であること

戦争が終わるまでは、意欲的に

創作活動をされていたが

戦後はぱたりと創作活動を辞し

全国の校歌・団歌・社歌などの

作曲に精力的に取り組まれてきたこと



そして、戦後

氏が創作活動を控えるにまで至ったのには

氏が作曲された「海ゆかば」

という曲が非常に深く

関わっていることがわかった



「…海ゆかば」



私は、試しに

この曲を聴いてみることにした



便利な時代になったもので

YouTubeで検索すれば

いくつもの音源がヒットした



初めに、混声四部の

「海ゆかば」を聴いてみることにした




初めて聞いた時

私の中に電流が流れた

そして、心の奥底が

ジーンとうちふるえるような感覚に陥った



何度も何度も繰り返して聴いた

戦前・戦中の日本に

これほどまでに美しい音楽があったのか…と



そして、この「海ゆかば」が

「第二の国歌」と呼ばれるまでに

歌われていたことを知った



「学徒出陣」での「海ゆかば」の

大合唱の音源を聴いたときは

涙が出そうになった



しかし、なぜ

これほどまでに歌われ

そして、これほどまでに

素晴らしい曲を

私は知らなかったのだろうか?

と、疑問が沸き起こってきた



どうやら、それは

この「海ゆかば」が歌われた時代背景と

さらに音楽性にあるようだ



この曲は昭和12年に作曲されたものだが

前述の「学徒出陣」の壮行会など

戦時中の様々な場面に盛んに歌われた

さらに、ラヂオにおいて

玉砕の報を知らせるときのBGMとして

使用されていたのだという



「海ゆかば」という

曲そのものがもつ

当時の国民感情に寄りそう精神性と

人々の心の奥底にまでしみこむような

高い音楽性によって

「海ゆかば」は当時の日本人の

心に深く根ざし

戦争の記憶と密接に絡み合ってしまった



戦後は、その高い音楽性にも関わらず

(いや、それゆえのことか?)

「軍国主義」のレッテルをはられ

事実上「封印」されてしまったという



私は、これまで

何人もの方に戦争体験を

インタビューしたことがあるが

いろいろと聴く中で

「海ゆかば」だけは辛くなって聴くことができない

と言う方は、思っていたよりも多かった



しかし、私は

「海ゆかば」の旋律に

魅了されてしまったのである



忘れていたものを思い出すような感覚

身も心も浄化されるような感覚

「海ゆかば」を聴くと

そのような境地に達することができた



それから

私が「海ゆかば」以外の

氏の作品に興味を示し始めるのに

時間はさしてかからなかった

これは、必然であった



すると、一曲のカンタータの名が浮上した

それが「海道東征」だったのである



しかし、その全貌を掴むことは難しかった

いまでこそYouTubeや

ニコニコ動画に全曲アップされているが

当時はどこにもあがっていなかったのである



そんな折、私はとあるホームページを見つけた

その名もまさに

海道東征のホームページ」であった



高校二年のとき

私は、はじめて

このホームページを通じて

「海道東征」の全貌を知ることになった



つづく


 

2014.03.23 Sunday

美しと誰ぞ隠る

***前回までのあらすじ***

 サディの東征〜大和は近し!〜
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=2083

 神武東征を追って 
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=2084

***************

「橿原神宮」「神武天皇御領」から

しばらく東に歩いて

見渡しの良いであろう

「藤原京」跡へ向かった



そこならば、大和三山はもとい

山々に囲まれた「大和」を感じられると思ったのだ



私はどうしても、交声曲「海道東征」の

第二楽章「大和思慕」で歌われている

「大和」の情景を

「大和」を取り囲む山々を

この目で見ておきたかったのだ



住宅街の中を歩き続け…



ついに「藤原京朱雀大辞跡」を発見した



覚悟していたが…本当に何もないところだった(笑)



かつて、ここに都があったのかと思うと

儚さを感じずにはいられなかった



そして、「朱雀大路跡」から

畑の中路を行き



「藤原京跡」へたどり着いた



私はぐるりと辺りを一望した



大和三山のひとつ「耳成山」も見えた



「大和」は緩やかな山々に四方を囲まれていた



確かに、嵐山の風景とは全く違っていたし

毎日、羊蹄山を仰いで育ってきた

道産子の私には想像できない風景であった



非常にのどかであった…



塩土の翁が神武天皇に進言した

青き山々に囲まれた

東にある美しき土地は

確かにここにあったのだ



青い空から高らかと

天の岩船に乗って、ニギハヤヒノミコトが

天下るところを、ふと考えてみたが

なんて素敵なことだろうと思った



ただ…

藤原京跡に並べられている



この「かにかま」みたいな柱…



これは、無い方が良いと思った…



今度は、この「かにかま」が

取り払われたところで

この景色を仰ぎ見たい






■関連記事■

 サディの東征〜大和は近し!〜
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=2083

 神武東征を追って 
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=2084

 「海道東征」の二律背反
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1894

 死んだらどうなるのか?
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1886


 

2014.03.23 Sunday

神武東征を追って

去年の秋、私はヤナギとともに

京都・嵐山に行き

そのなだらかな山並みに感動した


(秋に見た嵐山の景色)



その後、私は「海道東征」の練習の際に

先生にその感動を伝えると

「京都と奈良の景色はまったく違う」と言われた



なるほど、たしかに

日本武尊の「国偲歌」が詠う

「まほろば」は京都ではなく奈良だ

しかし、そこまで違う景色なのだろうか?



そこで、昨日

再びヤナギとともに

「うるはしの大和」を

この目で確かめるために

奈良へ向かった



そして、まず最初に橿原神宮を目指した!


(戦前の教科書に見る「神武天皇即位式」)


(神武東征の経路)



神話では、神武天皇は高千穂から出発し

上の図の経路で東征し

橿原において天皇に即位したとされている



我々が参拝した「橿原神宮」は

その神武天皇が即位した「畝傍橿原宮」とされる地に

明治時代に建立されたという



お土産屋さんに並ぶ

大量の埴輪に見送られながら…



鳥居をくぐり…



そして、もう一つくぐり



参道の行く先には…



日の丸であった…!



人生でこれ以上に

厳かに掲揚された日の丸を

私は見たことがない…!



とにかく、広い



広さというのは

厳かさを非常に強く醸し出す



皇紀で記された年期

そうか、ここはまだ

神洲でありつづけているのか…

と、なんとなく、感心してしまった



参拝客も多かった

しかし、奈良町や奈良駅周辺にあふれかえっていた

外国人観光客などは、まったくおらず

静かであった

皆、日本人であった

空気がぴんと張りつめていたが

そこに安らぎも、確かにあった



「橿原神宮」は紀元二千六百年に

拡大工事されたのだという

この敷地の広さである

相当、壮大な式典が敢行されたに違いあるまい



また、「橿原神宮」から北へ進むと




「神武天皇御陵」がある



付近には綏靖天皇などの御陵も散在しているという



厳かな参道を通ると




神武天皇御陵にたどり着いた



神武天皇は初代天皇とされているが

その根拠は記紀であり

存在そのものは神話の上のもので

架空のものとされているのが通例である




この先に、何が眠っているのだろうか?



神武天皇が実在したのであれば

そこに何が眠っているのだろうか?

もし、神話だけの存在であるのだとすれば

そこには何もないということなのだろうか?



もともと、土饅頭ほどの大きさだったものから

幕末から明治にかけて大修築され

大正年間に立派な円墳に改修されたのだという



そこに本当に存在するのか否か

それは、あまり大切な問題ではない

信じるかどうか、それが大切なのだ



信じていれば

それは存在するし

真実になるのである



しかし、「畝傍橿原宮」の跡地からは

大和の山々を仰ぐことはできなかった

「たたなづく青垣山」を見るために

我々は見晴らしの良いとされる

「藤原京」跡へむかうことにした







■関連記事■

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2014.03.14 Friday

「海道東征」の演奏をYouTubeにあげました

昨年12月22日の定演で演奏した

交声曲「海道東征」を

友人D.C.の人の助けを借りて

一曲ずつYouTubeにアップすることができました



歌い手を集めるのがやっとな状況の中で

様々な方々から助けていただき

どうにか、ここまでの形にすることができました



演奏会から二カ月経ち

興奮もさめ、比較的冷静に

自分たちの歌声を見直せる頃合いに

なってきただろうと思い

また、できるだけ多くの方に

私たちの演奏を聴いていただきたいと思い

動画として編集しアップした次第です



細かいところなど

色々とミスや

もっとこうしたかった!など

改めて聴いてみると色々ありますが

私たちはあの時

出来る限りの努力をし

力いっぱい演奏いたしましたので

悔いはありません

むしろ、達成感と感謝の気持ちでいっぱいです



皆さまにおかれましては

あたたかいまなざしで聴いていただけたら…

と思います

また、YouTubeの方では

動画へのコメントを受け付けておりません

感想などございましたら

こちらのブログの記事に

コメントしていただけたらと思います

それでは、一楽章だけでも

聴いていただけたら幸いです



交声曲「海道東征」

作詞 北原白秋

作曲 信時潔




第一章 高千穂



第二章 大和思慕



第三章 御船出



第四章 御船謡



第五章 速吸と菟狭



第六章 海道回顧



第七章 白肩の津上陸

第八章 天業恢弘





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2014.02.11 Tuesday

弥榮を我等(紹介のご報告)

今日、紀元節の日に

不朽の名作「海道東征」が

なんと!オーケストラで!

熊本で全楽章、演奏されるという



忌々しい歯科CBT試験のせいで

合唱団に参加することはもちろん

聴きにいくこともできず

これほどまでに悔しく歯痒い思いをしたのは

未だかつてないほどだ



しかし、時代も

素晴らしいものは素晴らしいと

きちんと受け入れられるほどに

変わってきたということだろうか?



もしかしたら、これから先

「海道東征」が演奏されるのも

そう珍しくはない時代に

なっていくのかもしれない

「第九」のように

全国的に、何度も歌われるような

時代が訪れるのかもしれない



なんだか、自分たちが

大学の定期演奏会で「海道東征」を

演奏したことも

遙か昔のことのように思える

わずか一カ月ほど前のことなのに…



さて、お正月に

信時裕子様に「海道東征」の

演奏報告をしたところ

ご自身の運営・管理されている

ブログ「No-b-log」にて

紹介していただいた!



オーケストラ・ニッポニカと

熊本の「海道東征」公演に

挟まれて、なんだか感激!



記事の内容は以下の通り

(感激のあまり「
No-b-log」より引用いたしました!)







この記事を読んで初めて知ったのだが

大学合唱団で企画・演奏したのは

私たちが初めてのことらしい



意外や意外

数の大きな大学合唱団では

この楽曲を演奏しよう!と

漕ぎ付けるまでは大変なのだろうか?

それとも、しよう!と

企画する大学生が

これまで現れなかったということだろうか?

または、やっぱり

この「海道東征」を知っている

大学生がいないということなのだろうか?



それにしても

本当に演奏したのだな、と

この「No-b-log」の記事を読んでいて

初めて実感することができた



最近、勉強しながらでも

やっぱり「海道東征」を

口ずさんでしまう私がいる



私が卒業するまでの間に

もう一度、どこかで

「海道東征」が演奏できないものか…?



どうしても、もう一度…やりたい



最近は暇さえあれば

「海道東征」の再演をするには

どうしたらよいか?ということばかり考えている

…2年後のエルフェンの50周年は…

どうだろうか?

やっぱり、もう難しいだろうか?



とにかく、今日は

参考書を片手に

静かに建国を祝おう



それでは、ばいちゃ☆


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■関連記事■

 「海道東征」の演奏を終えて
 http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1968

■追記■

 この記事を書き上げてから知ったのだが

 著書「信時潔」の著者である新保祐司氏が

 年始の挨拶で「第九」と「海道東征」について

 述べられていたので

 ここでご紹介したいと思う

    【正論】年頭にあたり「日本人に返れ」の声が聞こえる
     http://sankei.jp.msn.com/life/news/140101/art14010102260000-n4.htm

2014.01.01 Wednesday

「海道東征」の演奏を終えて

定期演奏会のDVDが届いたので

反省会に先んじて

「海道東征」の演奏だけ

元旦早々、聞いてしまった



「高千穂」の前奏

ピアノが高音でキラキラ動くところが

なんど聞いても

この上ない緊張感をかもし出していた

この「高千穂」に勝る

高揚感に満ちた前奏がこの世にあるだろうか?



思っていた以上に

ハーモニーも整理整頓されていたし

歌詞もしっかり飛んできた



アンケートに「日本語を丁寧に

大切に歌っていた」と書いてくださった方が

いらっしゃったが

そういうことだったのか、と嬉しくなった



打ち上げで

「北混の音源に負けてない」と

いってくださった方もいらっしゃったが

聴いてみると

確かに、勝るとも劣らず?!

とも思っちゃったりなんかして…笑



ソロも我ながら鬼気迫るものがあり

思った通りに歌うことができていたので

よかった、と安堵した



おそばせながら

「信時潔研究ガイド」というサイトに

演奏会の報告をした



本当は演奏会の前にお知らせしておけば

サイトで告知していただけたのだが

忙しくて、そこまで手が回らなかった…



「信時潔研究ガイド」に資料として

エルフェンの名が記録されれば

「海道東征」を演奏したという実感と

大きなことをしたのだ!という感慨が

ますます強くなってくるのであった

(まだお知らせしただけで、掲載されてはいないが)



さて、2月11日の

紀元節に熊本で

大規模な「海道東征」の演奏が開催されるらしい



日本創世の大作“復活” 熊本で「海道東征」(くまにちコム)
http://kumanichi.com/news/local/main/20131219004.shtml





CBTの二日前なので

やむなく行くことができないが

(くそぉ、忌々しいCBTめ!)



「信時潔研究ガイド」へ

お知らせのメールを送った際に

信時裕子様から事務局長の方が

「男声が少なくて困っておられる様子でしたので、

参加できる方があれば是非連絡してみてください」

と薦められた



本当にCBTさえなければ…!

練習日程だけでも知れないだろうか…



いや、まてよ

がんばれば…いける…か…?



とはいえ、これからも全国の「海道東征」の

演奏状態の動向に

アンテナを向けていきたいと思う



それでは、また細かいことは

反省会の後で…



ばいちゃ☆







2013.12.23 Monday

演奏会を振り返って

昨晩の打ち上げ、今日の忘年会と

演奏会から一日が経って

色々な方から

たくさん感想をいただいた



さらに今日は、演奏会当日に回収した

アンケート用紙も見ることができたので

「演奏会を振り返って」と題して

皆さんから言っていただいたことを

少しまとめてみたいと思う



■「海道東征」の感想

「初めて聞いた」という感想が一番多かった

また「神話を題材にした曲があったなんて」

という感想も少なからずあった

日本神話を題材にした

合唱曲は少なからず存在はするにしても

普段親しんでいる音楽とは

ある種「異質」なものを

会場に来ていたお客さんは感じ取ったに違いない



「高千穂」の前奏が始まった途端

会場の色がさっと変わったのを感じた

聴衆の集中がステージに集まったのは快感だった




「素敵だった」「綺麗だった」という

アンケートも数多くあったのもうれしかった

皆さんに、信時潔の音楽の素晴らしさを

わずかにでも伝えられたなら

この上ない幸せである



中には「校歌みたい」という声もあったが

私はこの曲に関して

そう思ったことはなかったが

戦後、信時潔が数多の校歌を

手がけていることを考えると

私たち日本人の奥底に

知らずしらずのうちに

信時潔の音楽が息づいていて

アンケートにそう書いた方も

そういうところを感じ取ったのでは

ないだろうかと思われる



また、この演奏会をきっかけに

北混の「海道東征」を聴いた方も

合唱関係の方には数多くいらしたようだ



北九州の合唱の歴史を紐解くと

必ず「北九州混声合唱団」の存在に差し掛かる

この演奏会をきっかけに

北混時代のことを思い出す方も

いらっしゃったようだ

合唱の醍醐味は人と人の

ピースがつながること

それが、思い出と思い出ならば

なおさら素敵なことなのである



■私のソロについて

皆さん「うまかった!」と

とてもほめてくださった



記念混声の方たちには

「こいつを札幌に帰らせてはいけない

北九州に骨をうずめさせなければ」

とまで言っていただいた



海道東征のソロは

野村萬斎のようだとも

評してくださった方もいた



また、コール・フェスタの方も

会場に来てくださっていたが

「とても素晴らしかった」と

ほめてくださったので、本当によかった



早く録画を見てみたいなぁ…



■演奏会について

意外だったのが「客が少ない!」という

意見がアンケート用紙に

書いてあったことだ

意外だったのは書いてあったことではなく

それが書いてあった用紙が

少なからずあったということだ



例年と大体同じくらいの入場者数

確かに、去年よりは減っているかも…

と、思ったけれど

年の瀬によくこれだけ集まったな、とも思った



「客集めをもっと努力しろ!」という

叱咤激励をくださった用紙もあった(笑)



しかし、これはエルフェンの

演奏会の質が上がった

と言えることではないだろうか?



お客さんの人数なんて

そう簡単に上がったりはしない

(下がったりはするが (笑))



昨日来てくださったお客さんの中には

演奏会の質に対して

客が少なくてもったいない

と、思ってくれた方が

少なからずいてくださった

という風にもとれるわけだ



質が上がれば

客も次第に増えるものだ

宣伝もした

音楽もした



あとは、これからも演奏会の質を維持し

さらに高めることに専念することで

それが集客につながったり

することができたら素敵だ

そうなっていけたらいいなぁ



今年の演奏会は去年よりも

素晴らしい出来に仕上がったと思う

だから、きっと来年は

今年よりも来てくださるはずだ(^ν^)



以上

燃え尽き症候群のサディが

感想・アンケートを整理しました


2013.12.22 Sunday

北九州の地で再び

待ちに待った

第48回定期演奏会は

予定通りの時刻に

歯科大講堂で開催された



この演奏会の第一ステージで

ついに「海道東征」が演奏された



「海道東征」は、素晴らしい音楽作品

だというのにも関わらず

作品が製作・発表された時代背景から

軍国主義の作品という

乱暴なレッテルをはりつけられ

戦後は事実上封印状態におかれていた

また、曲の規模を考えても

おいそれとは演奏することができないだろう



しかし、そんな曲を

エルフェンのような少人数(4人!)の合唱団が

様々な人たちの助けを借りながら

無謀とも思えた計画だったが

実際に、演奏したのだ!



私のような一介の大学生が

「やりたい!」とワガママを言って

できるような曲ではなかった

だが、演奏するにこぎつけられたのには

やはり北九州でなければいけなかったのだと思う



思想的な地盤もそうだろう

私の地元札幌では難しかったと思う

しかし、そういう風土によるものに加えて

昭和44年の北九州混声合唱団の再演が

今日の演奏につながっているのだと

強く感じた



高校のときから聞いていた

北混の「海道東征」

そのホームページの開設者の方が

メンネルのOB会長の方だとわかったとき

そして、実際にお会いして

楽譜と音源をいただいたとき

すべてが運命的だった



そして何より

北九州に中山先生という

素晴らしい方がいらしたこと…



「海道東征がやりたい!」という

私の思いを

「無理だ!」「無謀だ!」などと無下にせず

広い心で受け止めてくださり

「私も信時潔という作曲家は大好き」

「北混の演奏は私も聞きに行きました」

「記念混声でも演奏しようか迷った」と

言ってくださったとき

先生以外の人には頼めない

いや、振ってほしくない

そう思った



私は「海道東征」を演奏するために

北九州に来たのだ

心の底から、本当にそう思った



とはいえ、なかなか一筋縄ではいかなかった



現在の北九州の大学合唱における

学生たちの音楽へのモチベーションの

ギャップに苦しんだこともあった

私自身の情熱の空回りで

いろんな人を傷つけてしまったり

苦しめてしまったこともあった



しかし、こうして

後輩、先輩、他大学の仲間たち

一般賛助の方々

そして、中山先生などの

“善き人々”に助けていただき

今日を迎えることができた




本当に幸せだった

助けてくれた皆さんに

感謝の気持ちでいっぱいだ



全身全霊で歌い上げた

悔いはない

いま、とても、満ち足りている



渦中にいた一人としては

実際にどんな演奏だったのかは

よくわからない



録画した映像が

あがってくるのは年明けだが

興奮が冷めた状態で

しっかりと成果を見届けたいと思う



けど、いまはたっぷりと余韻にひたるだけ…



みんな、ありがとう

そして、お疲れ様



2013.12.15 Sunday

古代ヘブライ語と日本の古語

今日は午前が「海道東征」

午後が「メサイア」の練習だった

朝の9時に集まって

夕方の5時までびっちり練習



「海道東征」の伴奏付き練習は

ほぼ初めてと言ってしまっても

差し支えなかったが

色々と慣れずに苦戦した(特にソロ)

練習の成果をイマイチ発揮できずに

ちょっとションボリ



大曲を少数で歌うという

緊張状態が持続した環境で

さらに、それにソロも加わり

手が汗でびしょびしょになった



午前の練習が終わった段階で

もう「一日が終わった」と

錯覚してしまうほどの放心状態だった



しかし、今日、「海道東征」は

ほとんどスターティングメンバーだった

本当に形になってよかった



本当は形になってからが勝負なのだが

この北九州の大学合唱の現状では

形にするまでがこの上なく一苦労



でも、欲を言えば今日のこの状態が

一カ月前だったらどれだけよかったことか

よかった半分

もったいない半分

そんな気持ちだ



やっと色々とやりたいことが

できそうになってきたところで

いつも本番…

悔しいなぁ



さて、今日と言うこの日まで

私はいろんな大学に出張しては

賛助の音取りに奔走して

全体の底上げを図っていたが

ついに先生からは

「もうあなたは自分のソロに専念しなさい」と

くぎを刺され

(というより、精神的免罪符を渡され)

今週からは(やっと)

自分のソロに専念することができそうだ



そうだ、練習したのに

成果を発揮できなかった、というのは

やっぱり「練習不足」なのだ

成果を発揮できてこそ

「練習した」と豪語できるのである

自分に落ち度が少なからずある以上は

どんな指摘・注意も甘んじて受けとめよう

そしてゲネプロでは

かっちり歌いあげられるように

この一週間、自分を仕上げていきたい



と、上記のように

反省しながら

虚脱状態で、午後の「メサイア」練習に突入



「メサイア」は「海道東征」以上に

大人の方たちが賛助に駆けつけてくださるので

「海道東征」ほど緊迫せずに

のびのびと歌える



とはいえ、セシルの定演が終わってから

ずっと、寝ても覚めても

海道東征だったもんだから

ほぼ一カ月ぶりの「メサイア」だった

意外と忘れていて戸惑った



さて、「メサイア」や「海道東征」の

それぞれの曲の本質からは

少し離れてしまうかもしれないが

この二曲を歌っていて

少し、感じたことがあるので

つらつらと書いていきたいと思う



歌っていて

「メサイア」の「ハレルヤ」と

「海道東征」の「ええしや をしや」は

通じるものがあると思った



「ハレルヤ」の「ヤ」を

叫ばずに響きを残すように歌う

というのは、「ええしや をしや」でも

同じことが言えるのではないだろうか



どちらも、おめでたいことを述べる言葉だが

どこか似ているような気がした

「ハレルヤ」は古典ヘブライ語

「ええしや をしや」は古代の日本語だ



民族や言葉が違えど

めでたい時には

「ヤ」の文字を高唱するものなのだろうか?

「弥栄(いやさか)」という言葉もそうだろう

「海道東征」の「弥栄」は

やはり「ヤ」の部分に

力点が置かれているような気がする

「いやさか」の「ヤ」を

高らかにうたうことで

その言葉のもつ溌剌とした部分が

存分に発揮されるのではなかろうか



ちょっと調べてみると

意外と、古典ヘブライ語と

古代の日本語の類似点を研究している

学者さんもいらっしゃるらしい

中には「大和民族はユダヤ人だった」

という説を掲げる人もいるらしい

   ※古典ヘブライ語と日本の古語の共通点を紹介しているサイト

    「言葉の杜」
     
http://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/word/word.html



そういえば「神武天皇」が

「失われたイスラエル10支族」を意味する

という「神武東征」の異説も存在するという

   これらにより、神武天皇=失われたイスラエル10支族を意味し、

   東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すという説。

                  (Wikipedia「神武東征」より引用)


自分で言うのもなんだが

意外と着眼点はよかったのかもしれない?



まぁ、ここら辺を調べたりするのは

曲そのものには関係なさそうだから

定演が終わって

さらにCBTが終わってからにしようかな



ということで

今日は練習中に飛び出た

先生の金言を紹介して

この記事の結びとしたい



いずれも「ハレルヤ」の練習中のことである



語録1「ピース手裏剣」



子音はたてりゃあいいってもんじゃないよね!



語録2「えいくそ!」

最近、私の周りではおなじみになった

先生ワード(笑)



語録3

「ハレルヤ!の“ハ”しか聞こえん!

“ハ”ばっかりだ!

まぁ、歯科大だからいいのか」




歯科大生と言えども

「ヤ」もきちんと歌おう!笑



それでは、ばいちゃ☆



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2013.11.11 Monday

交声曲「海道東征」第八章「天業恢弘」

ついに第八章「天業恢弘」の詩解にさしかかる

これをもって「海道東征」の詩解は

ついに完了する

ここまで、ネットなどでさまざまな文献を参考に

読み解いてきたが、私自身もまだまだ勉強不足だし

これで十分に解釈しきれているとは思ってはいない



これからも勉強を進めていくつもりだが

この先、このブログにおける「海道東征」の

解釈や分析に関して

訂正や加筆などが必要となれば

必要に応じて行っていきたい



■これまで

 第一章「高千穂」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1617

 第二章「大和思慕」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1661
 
 第三章「御船出」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1662

 第四章「御船謡」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1900

 第五章「速吸と菟狭」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1901

 第六章「海道回顧」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1902

 第七章「白肩の津上陸」
 
http://tulip-kimkim.jugem.jp/?eid=1903



さて、それでは詩解へとうつっていきたい

この第八章「天業恢弘」は

全体の締めくくりとして一足飛びに

天皇の位に即れるときのことに移っている



それというのも、北原白秋が描いていた

「海道東征」の構想は非常に壮大で

予定する分量を超えてしまったために

最後の締めくくりであった「天業恢弘」を

「白肩の津上陸」の次において

ここまでを「第一部」としたためである

なんと、白秋は

「海道東征」を三部構成の

作品にするつもりだったという



しかし、1942年に北原白秋は死去

信時潔自身も、神話を取材して

曲を構想しスケッチを試みたが

これも未完に終わったために

「海道東征」の第二部・第三部の構想は

夢と立ち消えてしまったのであった



「天業恢弘」の最初の三節は

三種の神器のことについてふれている

天地初発の際にはやく生まれられた

皇祖神の国家建設の大御言を受け継がれ

従わぬ者はただちに討ち給え

ということが書かれている



ちなみに、「三種の神器」とは

天孫降臨の際に

天照大神により授けられ伝えられ

皇位の標識として歴代伝えられる

三つの宝物である

・八尺の鏡(やたのかがみ)

・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)

・八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)



神武東征によって、大和は平定されたので

神武天皇は畝傍山(うねびやま)の

白原(かしはら)に宮をつくり

第一代の天皇の位につき

大和朝廷を開かれたのであった



第八章「天業恢弘」



しき、蒼雲あをぐもうへに高く、

高千穗や※(「木+患」、第3水準1-86-5)觸峯くじふるたけ

  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその肇國はつくに

  きはみなしあまつみわざ

  いざ仰げ大御言おほみことを、

  かしこきやさや御鏡みかがみ

くにありき、綿津見のしほわかく、

光宅みちたらし、四方よも中央もなか

   「光宅(みちた)らし」:日本書紀「余謂ふに、彼の地は、

   必ず以て大業を恢弘べて、天下に光宅(みちた)るに足りぬべし」

                         (第一章「高千穂」参照)

   「四方の中央(もなか)」:日本書紀「蓋し六合(くに)の中心(もなか)か」(東征前)

                  「蓋し国の墺区(もなか)か。」(東征後)

   ※東征前後での「もなか」の表記の違いに何か意図があるのだろうか?

   蓋し(けだし):ひょっとして、あるいは。
               
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその國生くにうみ

  かぎりなし天つ日嗣ひつぎ

  いざ繼がせことさすもの、

  勾玉まがたまとにほひつづらせ。


みちありき、いにしへもかくぞ響きて、

つらぬくや、この天地あめつち

  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその神性かむさが

  おぎろなしみつるぎ太刀たち

  いざ討たせまつろはぬもの、

  ひたにち、しかもやはせや。


雲蒼し、かみさぶといやとこしへ、

照りぐはし我が山河やまかは

  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその國柄くにがら

  ゆるぎなし底つ磐根いはね

  いざ起たせ天皇すめらみこと

  神倭磐余彦命かむやまといはれひこのみこと

神と大稜威おほみいつ高領たかしらせば、

八紘あめのしたひといへとぞ。

   「八紘一つ宇とぞ」:日本書紀「…上は乾霊の国を

   授けたまひし徳に答へ、下は皇孫の正を

   養ひたまひし心を弘めむ。

   然して後に、六合を兼ねて都を開き、

   八紘を掩ひて宇にせむこと

   亦可からずや。…橿原の地は、蓋し国の墺区か。治るべし」

   

   「八紘」は「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を

   意味する語で、天地の八方の隅、地の果てまでの意。

   「宇」は家の屋根の意。

   ※ただし、いわゆる「八紘一宇」は田中智学の造語。

  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその
肇國はつくに

  はても無しあまつみわざ

  いざらせ大和やまとここに、

  雄たけびぞ、彌榮いやさかを我等。



■参考音源

 

■参考文献

 「神武東征」(Wikipedia)

 北原白秋「海道東征」
 http://gunka.sakura.ne.jp/words/kaidou.htm

 海道東征のホームページ
 http://www.geocities.jp/kaidoukita/Shirakatanotu.htm

 北原白秋 新頌
 http://gunka.sakura.ne.jp/words/kaidou.htm

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